昭和の巌流島、力道山対木村政彦。ブック破りの真相に迫る。

ショウちゃん

戦後のスーパーヒーロー、力道山と木村政彦の世紀の一戦。
血の海に沈んだ木村。。。
大山倍達は、どうかかわっていたのか?

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当時(戦後)の時代背景

昭和の巌流島と呼ばれているこの試合は、1954年12月22日に蔵前国技館で行われました。

木村政彦(37歳)vs力道山(30歳)の日本プロレス選手権試合です。

当時の時代背景としては、戦争でアメリカに敗れた日本人が、

アメリカの大男をなぎ倒すプロレス、そんなこともあって、プロレスは大人気で、

家庭には、テレビもなく、街頭テレビのプロレスに黒山の人が集まった時代でした。

そんな中で行われた当時のスーパーヒーロー「力道山」と柔道の鬼で木村の前に木村なし、木村の後に木村なしと言われた柔道の木村政彦との「日本プロレス選手権」でした。

木村政彦
全日本選手権13年連続保持、天覧試合優勝も含め、15年間不敗のまま引退。
「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と讃えられ、後々にも史上最強の柔道家と言う意見が多い。

木村政彦の急所キックから力道山のブック破りの攻撃・油断していた木村政彦

おじいちゃん

試合の途中で木村のキックが力道山の急所に入ったことで、
力道山がエキサイトして、ブックを破り本気のチョップやキックで
木村をノックアウトした。
木村が、血の海に沈んだまさに凄惨な試合でした。

体格も力道山が上だし、木村は年齢的にも最盛期は過ぎていた。
力道山30歳、木村37歳か、、今で言えばまだまだ若いけれど、当時で言えば木村の37歳はちょっときついな。

木村は、引き分けのつもりで試合をしていていきなりやられた。

そんなところだと思うけどね。

全盛期の木村なら

おじいちゃん

もちろん、全盛期の木村なら、いきなり来られても対応できたと思うけど。
致し方なし。

力道山自身が、元々そういう展開を意図していたのか?
本当にたまたまだったのか???
真相は分かりませんが。。。

「空手バカ一代」で大山倍達が、ああした、こうしたという話が出てくるが、
基本的にあれは梶原一騎のお話。
私らは、空手バカ一代をリアルタイムで漫画で読んでいた世代ですが、今思えば梶原一騎の創作です。

当時、国民的人気だった、プロレス。
そのプロレスでこんな壮絶な試合を見せられたら
ファンはプロレスの真剣勝負を疑いもしなかっただろうね。
その後の力道山の人気とプロレスの大発展、木村政彦は、歴史の舞台から消え去りました。

昭和の巌流島 力道山対木村政彦 ユーチューブ動画

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(アマゾン・楽天)

おじいちゃん

下の本の表紙のような、こんな筋肉のころの木村政彦なら、天下無敵だったな。
まさに、猛稽古で作り上げた筋肉の塊
上の映像とは大違い。。。
時代だね。
もっと遅く生まれていたら、ヒクソングレーシーとの一戦とか見たかったね。
体格的にも、大きな差は無いし。
まぁ、ヒクソンのおじいちゃんのエリオ・グレイシーとは戦って、キムラロックで完勝しているけどね。
まさに、時代だね。

【鬼の木村政彦VSエリオ・グレイシー】ユーチューブ動画

おじいちゃん

プロレスではただのつなぎ技のようなヘッドロック。
本気で絞めれば、この試合のように耳から血が出て、ギブアップせざるを得ない技。
腕固めももちろんそう。
総合格闘技では、関節を決められたら、まずそれで終わる。
プロレスの試合では、そこまでしない。

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